おやじ番
私は小学校時代、不登校まではいかないが学校へいきたがらない生徒だった。朝になれば頭が痛くなったり、食欲が無かったり、それでいて「学校を休む。」と決まったら急に食欲が出てきたり元気が出てくるのだ。私の両親は、共稼ぎで朝から夜まで、結構遅くまで仕事をしていた。地方銀行の職場結婚で、隣の家には食料品店(今でいうコンビ二)を営んでいた祖母。いなかでは、かなり恵まれた環境だった。実際、贅沢はしなかったが食う事には全く苦労した記憶はない。要するにボンボンで苦労を知らない甘えん坊なのだ。
当時(昭和30年後半〜40年代)は、私の家の周りでは馬を養っているところが多かった。どちらかといえば農耕馬ではなく競走馬を引退いた馬達が多かったように思う。近所の友達の家へいって馬にニンジンを食わせたことがあった。本当に幸せそうに、そう、今思い浮かべると彼はおそらく微笑んでいたんだ、力強くキレイに生えそろった見事な歯で「ボリッ、ボリッ。」いまでもその感触は忘れない。後に高校の友人を家に泊めたときに彼が言った「やはりこの辺は、馬や豚を飼っているから結構匂うな!」・・・彼は、私の処より遥かに郡部に属する地域の人間だった為、一瞬「ムッ。」ときたが、豚肉は私のおもなタンパク源であったし、馬糞のあの香ばしい(?)匂いも嫌いでは無かったので(恐らく武 豊も)友情にはなんら影響はなかった。
さて、「ボンボン」や「馬糞」は出てきたがなんでそれが野球なんだ?・・・私の前振りが長いときは、さびの部分は短いが結構面白いときが多い(かもしれない)。そうだ、野球だ、私が小学校6年の夏は熱かった。青森県中沸きに沸き、繁華街、商店街は閑古鳥が鳴いた。それでも商店主は嘆いたりしなかった。いま、40代後半から50代にかけての人なら青森県人を問わずこの事件を知っているはずだ。このことはこれ以上書かないが、(ごめん、これを書くと六法全書分)知りたい人にキーワード、1.延長18回 2.三沢高校 3.太田幸司 ・・以上です。
(再び)さて、我が真・伸もこの野球と無縁ではない。私は、運動音痴(略して・・えっ、いらない?)だった。いや、今でも基本的にそうだと思う。一番最初に、学校へ行きたくない事を話したが、その一番の理由が体育の時間だった。その当時のMenuを思い出しただけで気持ちがなえる。ラジオ体操を何度もやらされた事、マット運動や”鉄棒””跳び箱”行進、前へ習え、回れ右(この漢字でいいのかわからないが)・・・ね、やでしょ?もっとボールゲームをしたかった。下手でもそのほうが楽しかった。その後、中学では「卓球」・高校では無謀にも「硬式野球」へと向かう(もちろん華々しい活躍はなかったが3年間やり通した)のだが、それでようやく人並みの体力になれたのだと思う。だから人一倍、自分の息子には好きなスポーツをして欲しかった。
真・伸は小学校に入ったばかりの時にアイスホッケーを始める。その後、今まで大好きなスポーツであるのだから大したものだ。これは彼らの母親の力である。そう、彼らへの思いは私の何倍も強いのだ。 おい、野球はどうなった? みなさんすみません。前振りがかなり長くなりました。そこは素人のお粗末さ、この「野球」は3部に分けて次回つづきをお届け致します。
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