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真 ・ 伸 物 語

5.伸がバスに、

おやじ番


 春の日の午後、自宅の個室にてくつろいでいると(またトイレか?)けたたましい音とともに玄関が開いた。間髪いれず隣の”たつや”が「おばちゃん!・・・」と叫んでいるところに私が「おうっ、」と返事をしたので彼は慌てて言い直した。「おっちゃん、伸がバスに轢かれた。!」・・・今、原稿を書いていて「轢かれた」という漢字を改めて見て、車の脇にぐしゃぐしゃの体が横たわっているようないわゆる、象形文字なんだと気が付いた。
 さすがの私も自分の息子が車に轢かれたとなると(しかもバスに)慌てた。今でも思い出すのだがこの時は僅か200mほどの距離を周りの人に慌てた態度に見えないようにと妙に気を使っていたように思う。本来、そんな場合ではない筈だ。私は子供の頃から自分自身を”客観的に見る”という作業をしている。軽薄で、臆病で、何をしでかすのか分からない自分を監視するのだ。私の今までの人生の中でこの”作業”は必要だったしこれから尚一層・・・・・(おいっ! 息子がバスに、・・)
 バス通りは、旧の国道であったのだが片側一車線の普通の通りである。市内のバス路線には、市営のバスと民間の2社が運行している。その内この通りを走るのは民間の1社のみである。私の同級生は市バスとこの民バスの両方が走っている沿線に住んでいるのだが、2社のバスを布団に寝ながら聞き分けられるのだという。彼曰く、民バスは、全国の裕福な経営の(ここでは都市部の公共運営)バスが規定の期間走行後、安く払い下げられた物を仕入れているらしい。だから、エンジンの音が全く違うのだ。確かにその当時、彼の部屋に遊びに行った際、バス会社のあてっこをしたら二人とも外れなくて勝負にならなかった。それは、ある意味、民バスの運転手さんとメカニックが日夜技術を発揮できているのだなと私のなかでは納得している。
 200mの距離を走っていったのだが、なぜか酒に酔ったような「ポワ〜ン、」とした意識の中で現場についた。漢字の「轢」とは違った。  道路の脇の土手に体育座りをして伸がいた。 ほっとした、
 事故を検証しよう。その事件が起こる前、伸は隣の”たつや”と一緒に民バスに乗ってきた。天気が良い日だったのでその後の遊ぶ計画をバスの中で話していたのだろう。それがまた、今までに経験したことのない妙案だったらしい。こころうきうきで家に帰りたいと思っていたに違いない。そんなところへ同じ会社のバスが上り下りで停留所へ入った。伸と”たつや”を比べれば、断然伸の方がやかましい。即ち、直線的な行動をとり易い。みなさん、・・想像して頂きたい。相対向して停留所に止まっていたバスの向こう側が先に発進し始めた。こちらはやんちゃな彼らを含め数人が降りようとしている。なにやら計画のある奴ら(正確には伸、一人なのだが)他の人を制していっきに出口に向かったのはいうまでもない。そのまま降りたバスの後ろを通って道路を渡ろうとしたのだ。
 あとから、対向してきたドライバーに聞いたのだが向かいのバスの車輪の下を走る小さな足が見えたのだそうだ。しかし、先に述べたようにドライバーの技術は一流でも肝心な車体が、タイヤが、・・・。結果、バスの正面を顔に例えるならば右側のほっぺたに伸が頭突きを喰らわせた格好でぶつかったらしいのである。その時彼は、ピカピカの一年生。黄色い帽子に背中が隠れるほどのランドセル。そのランドセルが、反動で後に跳ね返された彼の体を守ってくれた。
 伸は座りながら口をへの字に結んで、まるで怒っているように私を見上げた。冗談じゃない!一発叱ってやろうとは、こちらの方だ。・・・・そう思った傍らで冷静に彼を見ると、必死で顔の筋肉を引きつらせないと「ワン、ワン」泣いてしまうのでこれ以上どうにも出来なのである。それまで私も動転していたので安堵感と伸の顔の可笑しさで一気に噴出しそうになるのを必死にこらえた。
 さすがに、でかいバスと小学1年生が衝突(やっと「轢」から開放された)したので救急車を呼ぶことになる。救急車、呼ぶとなかなか来ないもんだなと思う。時間にするとそんなでもないらしいのだが、それが当事者の感覚なのだろう。その間、冷静なふりをして彼を見守っている。そう言えば格好がいいのだが、なかなか言葉が出ないのが本当だった。
 そうしている内に遠くから救急車のサイレンが近づいて来る。そこで初めてご近所の方々以上の方々が集まってくる。その注目の中をあの赤線の白い車に親子共々乗り込むのだ。もちろん彼も初めての経験なので大いに興味を感じるはずであるが、彼もアホではなかった。自分の置かれている立場は理解できていたらしい。日に焼けた顔の中で目だけくりくり動かしていた。
 あの「ピーポー」という音は車の中でも結構大きく聞こえるものである。「被害者」である彼は本来、目の前のベットに横たわって神妙に運ばれるのだろうが、現実は違った。大きめのワゴン車の最後尾に親子で座って、とういう感じである。病院への道は普段、車で走っているよりかなり長く感じた。救急車の窓はマジックフィルムで外から中は見れないのだろう。しかし、私達は普通にワゴン車に乗るように二人仲良く座っている。次第にあの甲高いサイレンが恥ずかしくなってきた。私だけではなかったらしい丁度、伸と目が会ってお互い同じ気持ちだと解かった。そんな空気を察してか病院の遥か手前でサイレンは消された。

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